それで自分はどう動けばいいのかを時に見失う。
そういうときにこそ本当に自分のどうしたいのかに立ち返ることが必要なのだ。
なんとまあ義務教育中の道徳の時間や担任の放ったようなコトバを並べてみたけれど、僕は実に今そう感じるのだ。
おいしいエスプレッソをカッと飲みながら考えている。
このブログで書いていたことがここ一年で現実になっている。
ここ一年というよりも年々、時を経るごとに、と言ったほうが正しい。
帰社時間ごろの港区港南付近 by Moto
それはどんなことなのだ?と言えば、自分でも気がつかなかったことだ。
無意識に日常でしていた自分の行為が他人の目からは当然でしょ!とすでに当たり前の事がそれだったのだ。
これなんだけどね。(この右端でmotoに乗っているのが僕)
でもなんだっていうのだ!毎日毎日motoに乗っていることが飽きないなんて自分でも信じられない。
無意識下で行われていること。いや無心に無意識でできること。ちょっと違うな。
以前にブログでこんなことを僕は書いている。
http://dans-blog.seesaa.net/article/112760275.html?1353787788
この感覚にとても近いことが僕の日常で日々行われている。
それはそれは嬉しいのだ。
そう、願っていれば叶うのだ。というシンプルなものだとも思う。
そのシンプルさはまとわりつく自分の欲望のあれやこれやを一切そぎ落とさないと全く見えてこないものだとも思う。冒頭で書いたようなことが多分に含まれる。僕はその声を聞きすぎたんだなあ、と思うのだ。人の声をね。
情熱(パッション)を探し求め、外のドアを開けに突き進んでいたのだけれど、それは自分の足元にあったのだ。
自分の中にあったのだ。灯台下暗しとはまさに!なんだ。
自分に立ち返ったここ数年だったのだな。えらい年月がかかったぞ。
ダンズ・テーブルよ、Oh! Gad,thank you thank you thank you!
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